警固の由来は古く、今から千年以上前、鴻臚館警備の必要から、近くに「博多警固所」が置かれていたことが地名になった。
校区は概ね、北の「国体道路」と東の「渡辺通り」、南の「城南線」、西の鴻巣山から福岡城に続く「丘陵地」に囲まれた区域で、住宅、商店、高層ビルが混在している。
今泉公園(今泉1丁目)には、歌人として有名で、野村望東尼の師でもあった大隈言道の住居跡や、口語俳句協会会長で「天の川」を主宰した吉岡禅寺洞の句碑がある。
校区を南北に二分するように警固断層が走っていること、集中豪雨による浸水被害、ひったくりや性犯罪等の街頭犯罪から、 「自分達が生活する地域は自分達で守る」という意識がたかまり、防犯組合と自主防災組織を統合して新たな組織を立ち上げている。